平気でうそをつく人たち~虚偽と邪悪の心理学~

平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学

平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学

M.スコット ペック,M.Scott Peck,森 英明

古い友人の書評に惹かれて、図書館から借りてきた。

アメリカの心理学者がその経験から「邪悪なるもの」を心理学的に考察したものである。

著者の言う「悪」とは、「自己愛由来の嘘」である。

本には臨床例も載っているが、そこに登場する“患者”はごく普通に身の回りに居そうな人たちである。しかし、おそらくは無意識に距離を置こうとしてしまう類いの人物である。

では、その「悪」は自分の中には無いのか、といったらそんなことは無い。

誰の中にもあるものなのだ。

「邪悪な人間とは?」

邪悪な人間は、自責の念ーつまり自分の罪、不当性、欠陥に対する苦痛を伴った認識ーに苦しむことを拒否し、投影や罪の転嫁によって自分の苦痛を他人に負わせる。自分自身が苦しむかわりに、他人を苦しめるのである。彼らは苦痛を引き起こす。邪悪な人間は、自分の支配下にある人間に対して、病める社会の縮図を与えているものである。

邪悪な人間が、その特有の外見を絶えず維持するために必要としている精神的なエネルギーは、どれほど大きなものだろうか。おそらく彼らは、少なくとも最も健全な人間が愛の行為に注ぐと同じ程度のエネルギーを、そのひねくれた「合理化」や破壊的な「補償」に費やしていると思われる。なぜだろう。何が彼らにとりついているのだろうか。何が彼らを動かしているのだろうか。基本的にはそれは恐怖である。彼らはその見せかけが破れ、世間や自分自身に自分がさらけ出されるのを恐れているのである。彼らは、自分自身の邪悪性に面と向かうことを絶えず恐れている。

邪悪な人たちのナルシシズムは、この共感の能力を全面的に、あるいは部分的に欠いていると思われるほど徹底したものである。(中略)

こう考えると、彼らのナルシシズムは、それが他人をスケープゴートにする動機なるというだけでなく、他人に対する共感や他人を尊重する気持ちから来る抑制力を奪うという意味からも、危険なものである。邪悪な人たちのナルシシズムは、彼らが自分のナルシシズムに捧げるためのいけにえを必要としているという事実に加えて、自分のいけにえになる相手の人間性をも無視させるものとなる。ナルシシズムが彼らの殺人の動機となるだけでなく、殺しという行為に対する彼らの感覚を鈍らせてしまうのである。ナルシシストの他人に対する無神経さは、共感の欠如以上のものにすらなりうる。ナルシシストは他人を「見る」ことすらまったくできなくなることがある。

驚くことに、著者はこの「邪悪なるもの」は病と定義でき、将来的には治療可能だというのである。

そして、個人の「悪」だけでなく集団の「悪」にまで考察は及ぶ。

著者の言う「悪」は、僕の中にも確実に存在し、おそらく全ての人間の中に大なり小なりあるものだろう。

それだけに、衝撃的な内容ではあるが、人は変わることができ、そのことによって「進化」できるのだという著者の言葉は救いになる。

浦沢直樹さんが「MONSTER」「PLUTO」で描きたいことに、本書が大きく影響を与えたろうことは想像に難くない。

ちなみに、英語で“悪(evil)”は、“生(live)”の綴りと全く逆だそうだ。

ひぇー×35

「平気でうそをつく人たち~虚偽と邪悪の心理学~」への2件のフィードバック

  1. この読み物にひじょ~に興味を持ったのも確かですが…何といっても『evil』と『live』の関係にビックリ!!

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