憲法を変えて戦争へ行こう

という世の中にしないための18人の発言。

通販生活特別付録(岩波ブックレットNo.657)

9.11の、もう一つの争点。

9条って変えた方がいいんですか?


中村哲氏。

実は、20年前に初めて現地アフガニスタンに行くまでは、憲法に対して、ばくぜんと「守らねばならぬもの」と感じていただけでした。ですが、現地では、その後ずっと、我が身の方が「憲法9条」に実際に守られてきたことを肌身に感じています。

(中略)

つまり、実際に、戦争をしない国・日本の人間である、日本人である、ということに守られて仕事ができた、ということが数限りなくあったのです。

(中略)

それが、自衛隊の海外派兵が始まってから、雲行きが怪しくなってきました。日本人だから守られてきたのに、日本人だから命を狙われる、という妙な事態になってきた・・・

(中略)

9条を変えて「軍隊を派兵出来る普通の国になるべきだ」という論理の、その「普通の国」の意味がよくわかりませんね。そんなことを言うのは、“平和ボケ”した、戦争を知らない人たちの意見なのではないでしょうか。改憲したい、と言う人々は、戦争の実態を、身をもって体験していない人なのではないか、と思いますよ。

よく理想だけではやっていけない、ちゃんと現実を見なければ、と言いますが、それこそが“平和ボケ”の最たるものです。それは、マンガや空想の世界でしか人の生死の実感を持てない、想像力や理想を欠いた人の言うことです。

(中略)

現実を知らないから「軍隊に守られるのは危険」とか「軍隊そのものが危険」という認識が持てないんです。「丸腰の強さ」を現地にいると痛感します。

(中略)

軍隊をもつこと、軍隊を動かすことが、いかにお金がかかることか、アメリカを見ればわかります。アメリカの財政が破綻していることは、明らかですしね。

(中略)

戦争もつきつめれば、外交手段の一つです。9条の主旨はつまり、武力による外交手段を放棄する、というものですね。ということは、武力に頼らない外交手段を、あらゆる手を尽くして模索する、という宣言でもあるのです。それをきちんと果たしてきただろうか。それがまず、大きな疑問ですね。

つい10年くらい前までは、直接の戦争体験者がたくさんいたので、自民党だろうが、共産党だろうが、戦争の現実を知っていた。だから、主義・主張によって、9条の運用の仕方については、対立はあったけれど、その共通の土俵を崩すことがどれほど危険なことか、本能的に自明の合意のようなものがあったのだと思います。

(中略)

安全性だとか、防犯だとか言うことには、過敏になってとやかく言うのに、そのおおもとの、命を大事にする、という憲法をないがしろにしている。議員も含め、自分さえよければいい、という奇妙な考え方のように思えてならない・・・

(中略)

アメリカの作ったものの押しつけだとか、いろいろなことが言われてますが、日本があの憲法を受け入れたのは、何より、大きな大きな犠牲を払ったそのうえでの一つの結論だったんです。その、ご先祖様の大きな大きな犠牲の上に築いた、一つの大きな結論を、簡単に崩していいのでしょうか。

美輪明宏氏。

私は原爆にあっている人間ですし、戦前、戦後の両方の時代を知っています。

(中略)

憲法はGHQ(連合国軍総司令部)などが中心になり作られたものです。アメリカの女性も一人参加していました。日本は遅れていましたから、憲法もアメリカの言いなりになってしまったわけです。

でも、外国人も人間です。アメリカ人も人間。日本人も人間。中国人もユダヤ人も朝鮮人も、全部人間です。だったら、何国人が作ったものであろうと、人間が作った法律で、素晴らしければ、それでよいではありませんか。人間として、地球人としてよいものであれば、よいのです。日本人のどこかのバカな人が寄ってたかって作るより、はるかによいものです。

しかもアメリカが作ったというのはありがたいことです。アメリカは自分たちが作った憲法だから、日本に戦争をけしかけてくるわけにはいかない。彼らは手も足もでない、自縄自縛なのです。

それを知っているから、今、アメリカは憲法9条を解きたくてしようがない。(中略)

9条を改悪する必要なんてありません。(中略)

正義の戦争なんてありゃせんのですよ。

香山リカ氏。

今の日本も、一人の人間に例えれば正常な心理状態にあるとは言いがたい。長引く不況、官僚や大企業の不祥事、児童虐待や少年犯罪、大きな災害。国内にも問題が山積しているのに加えて、国際情勢はもっと混迷している。

(中略)

「憲法改正」は、そんな状況で行われようとしている。改憲派は「日本を、“治療”するにはこれしかない」、「これさえ行えば事態は好転する」と言いたげだが、はたしてそうだろうか。

姜尚中氏。

今、テロの頻発が非常に大きな問題となっています。しかし、そのために9条を「改正」する必要が本当にあるのでしょうか?

テロとは、非国家集団や組織が、特定の国家の国民と生命を危険にさらすことによってその国家に圧力を加え、思うように動かすことを目標とするものです。テロ対策を理由に9条の「改正」を唱える人たちは、依然として国家間の戦争を想定しているわけです。しかし、この「テロ集団」と国家という両者の間に決定的な差がある戦争においては、軍事力という古典的な考え方はあまり有効ではない。軍事力では決してテロは収束しないのです。

むしろ、国際紛争を解決するための手段としての武力を放棄した、今の憲法9条の枠組みの方がテロには対応している。一見遠回りのようでも、その枠組みの中で、テロを引き起こす原因自体に対処していかなければならないのです。

(中略)

憲法は、その出自ではなくて、現実にどういう機能を果たしているかが問題なのです。人間だって、その出生や家柄ではなく、成人に達して社会でどのような役割を果たしているかによって、その評価は決まります。それが近代の価値観です。

憲法も、確かにアメリカが作ったものかもしれませんが、日本国民がその役割・機能を認めたからこそ、60年間も改正が行われなかった。そのことの意味をも

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