Life in The Woods

今日、本屋で「STUDIO VOICE 2005.2」を購入した。

STUDIO VOICEは時々買ったりするのだが、今回はソロー特集ということで。

Henry David Thoreau

19世紀のアメリカの思想家。この時代にして、急速に発達する文明に対し、本能的に違和感を感じ、実験的に自給自足の生活を始める。

二十歳の頃、このままだったら、俺、一人で山にこもって生活始めちゃうかも、と真剣に考えていた僕に、大きな影響を与えた一冊が、彼の著書「ウォールデン-森の生活-」である。

森の生活 新訳 ウォールデン

森の生活 新訳 ウォールデン

ヘンリー D.ソロー, 真崎 義博

高校時代まで、どうしても周りと打ち解け込むことができなかった。それは親兄妹も例外ではない。

田舎なんてオレのことを理解してくれない、と飛び出したものの、結局どこに行っても、自分を完全に理解してくれる相手など、いなかった。

その空虚感(思春期特有のものでもあるのだが)に打ち勝つため、独りで山に入っていたりした。自分の理想とする世界とあまりにかけ離れた現実の世界の醜さに、絶望しかける時もあった。

今回の特集では、「森の生活」を中心に、ソローの思想が「今」にどれだけ価値のあるものか、STUDIO VOICE独自のスタンスで検証しているものである。その中には興味深いテクストもある。


Frank Lloyd Wright。言わずと知れた建築界の巨匠であるが、彼がTariesin Westで目指したもの、それはソローに通じる。

この砂漠に来て、すぐに身体で覚えなくてはならないのは、自然–私たちが建築と呼ぶものの原点–から、教えを乞うということです。この土地では、自然がむき出しになっています。

1954年11月28日 以上、田村有紀訳

今日、アメリカの文化として挙げられるもはありません。経験、考え方、行動から生まれる自国の文化がないのです。(中略)あることを始め、それが進められ、選ばれた人,すなわちそれを見ることができるわずかな人の目に触れるようになると,問題が生じてきます。営利が絡むようになり、利己的に利用される機会ができるので、ものの本質が粗悪になって、二の次にされ、大衆向けにせざるえなくなります。アメリカは、世界中のどの文明よりも破壊、浪費、踏みつけを行ってきました。(中略)

実力者やいわゆる偉大な開拓者らの一生を振り返ってみると、彼らには何がありましたか?彼らが持っていたものは何ですか?洞察力がありましたか?自然の完全性と美を啓示される自然体験がありましたか?一つもありません。彼らは粘り強い手腕家、改革反対派、困難に耐えて耐え抜く性格であり、実際に耐え抜いたのです。その結果、大金持ちになり大権力者になったのです。(中略)洗練という言葉を私は好みません。洗練は習慣的に行われていますが、どうも信用できません。ものの本質を破壊し、無用なものと一緒に大事なものを捨ててしまう洗練の過程に何かがあるのです。従って、ものを洗練することを少し警戒しなければなりません。(中略)現在のアメリカにかけているのは、量に対して質の感覚です。

1950年10月29日

厳しい経済システムのもとでは、芸術はすべて単なる利己的利用にすぎません。今日では創造的な芸術家は、もはや私たちの文明の主要な存在ではなくなっていると思います。この状況は回復させなければなりません。(中略)あらゆることがとても安直なので、我が国には美術に代わるものがあるのです。美術に代わるものとは何だと思いますか?

私が思うには、君たちが雑誌、新聞、ラジオ、映画、ハリウッドで見聞きするものでしょう。(中略)ものが溢れすぎているから人々が奥深いことや高尚なことを求めないのなら、ものを減らせばよいではありませんか。

あっさりと満足してしまうことから何が起こるのでしょうか?私たちは再び「スタイル」を持つようになります。すなわち、みなが持つから自分も持つと言って流行を持つのです。誰もそれを本当に理解していなくても、影響力の強い人が良いと言って持てば、ますます評価は高まります。横並びすること以外に何の感情もない人々はそれで安心なのです。それが私たちのスタイルの現状です。わかりますね、いわゆる「モダン」です。それは、優れたアイデアを奇妙に表現したり誤解したりすることです。(中略)

どういうわけか、私たちはルーツをなくしてしまったのです。私たちにルーツはありませんが、ルーツの代わりに思い出があります。本物志向の代わりにノスタルジアや感傷があります。おそらく、それでさしつかえないのかもしれません。大した苦痛もなく死ぬのも、だんだん力が弱まり廃れるのも、よいかもしれません。

1950年12月17日 以上、大野千鶴訳

すべて「X-knowledge HOME vol.12」より引用

これらのテクストはとても興味深い。「洗練」や「モダン」であることを否定しているライトが創り出すものは、僕にとって、とても「洗練」され、「モダン」なものに映る。

今回の特集でも、ライトの建築が取り上げられている。

両者に共通なことは、自然との関わり方である。自然とは、決して保護したり管理するものではなく、自分が属するものであり、教えを乞い、学ぶものである、という点であろう。

日本人は、まだルーツを無くしていないはず、だ。

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