ながい坂

ながい坂 (上巻)

ながい坂 (上巻)

ながい坂 (下巻)

ながい坂 (下巻)

山本 周五郎

僕にとって、山本周五郎と言えば「樅の木は残った」だった。


この物語は、架空の四万五千石の小藩の下級武士の家に生まれた、ある少年の物語である。

少年はある時、屈辱的な、世の不条理と言える事件に遭遇し、子供ながら出世を決意する。

一言で言えば、立身出世のお話であるが、ただそれだけに終わらない凄みがこの本にはある。

主人公は「両親を本当の親とは思えなかった」というあたり、突然変異的に優秀な人物で、能力が高いだけでなく、努力もするという、ある意味“完璧”な存在である。主人公に感情移入しようとすると、なかなか大変だ(笑)

しかし、天才には天才の悩みもあり、それは周りのやっかみであったり、階級差別であったり、世の中の不条理であったり、男と女のドロドロ劇であったりする。自分の信念を貫き通そうと努力すればするほど、孤独が深まっていく主人公の姿は、大変痛々しい。

作者は、この本を半自叙伝的に考えていたそうだ。

「樅の木は残った」もそうだが、男の信念というものを教えてくれる。自分が本当に守るべきものは何なのか。

また、主人公が藩主に取り立てられ、重職につき藩政に深く関わるようになると、正しい事ばかりで世の中がうまく廻るとは限らない場面に遭遇する。また、藩主の一時的な失脚とともに、暗殺から逃れるために市井に身を隠すことで、庶民の生活を目の当たりにし、民のために正しい政道を行おうと決心する。

そのようなストーリーの中で、僕らにどのような視点を持って生きていくべきか、ということを教えてくれる。

特に、「五人組」と言われる、今で言えば談合組織が藩内の経済を牛耳っており、主人公はこれを改めなければと考えていたのだが、別の勢力が政権を取り、五人組を解散させ、上方商人に任せるようになると、藩内の経済が麻痺し、それだけでなく、上方にお金が流失してしまった。

この逸話は、偶然にも昨今の構造改革/規制緩和を思い出してしまう。

作者は、主人公に「政権を取った(別勢力の)ものたちも、彼らなりに正しい政道を行おうと考えていたのであり、ただ細部の熟考が足りなかっただけである」と語らせている。

その後、藩主が政権を取り戻し、主人公は38歳の若さで城代家老となるところで物語は終わる。

しかし、主人公は妻に「もう疲れた」と言い乍ら、登城する。これからも、目の前にながい坂が立ちはだかっているからだ。

小説としては、晩年に書かれたこと、元々新聞連載であったことためであろうか、上巻と下巻ではテンポが違い、少々消化不良な感も否めない。

しかし、様々な人生の示唆を与えてくれる、と言う意味では、優れた周五郎作品であることは間違いない。

「ながい坂」への5件のフィードバック

  1. ともこーさんの文章だけで、楽しんでしまいました。
    上・下に渡るながい活字を読むということ、、。
    「ながい坂」を登る精神状態、、、男ですね。

  2. >きゅうたろうさん
    いやはや,改めて眺めてみると,長ったらしい文章ですね(^^ゞ
    もうちょっとおしゃれな文が書けるといいなあ,と常々思います。
    面白い本は,長さは気にならないものです。ただ,読み始めると止まらないところが、難点ですが(笑)

  3. この主人公
    よく38歳まで頑張りましたね。
    後に続くながい坂は
    少しだけゆっくり登ってほしいです。

  4. >盆造(´ー`)y━・~~~さん
    いや~小説とはいえ、濃い~~~半生だったみたい、ですよ(^_-)
    最後は「疲れた」って言ってますし。
    やっぱりお侍さんは偉い!

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