藤原 新也
いよいよ“フジワラワールド”も佳境に入ってきたか。
佳境、と言っても藤原さん個人の人生のこと。
若い感性が、まさしく鋭いナイフのごとき「印度放浪」から40年近く。
様々な旅を続けながら、混迷の世を生き抜く力を模索し、その姿勢と視点は多くの読者の指標となってきた。
近作は、老境に入りつつある作者の悟りにも似た(あきらめ、とは違うなあやはり)優しい文章と写真が多くを占める。
老人が昔話を懐かしむ、人によっては藤原新也らしくない、と敬遠する向きもあるかもしれないが、藤原さんだって人間なんだもん。
むしろ、昔話を出来るのはそれだけ歴史を積み重ねた人が出来る特権だ。還暦以下は昔話などを楽しむべきではない。
昔話を楽しめる、そんな大人になりたいなあ。
(もちろん、昔は良かった的な話を酒の席でされてうんざりすることはあるけれど、それとは次元の違う話。)
いや、伝家の宝刀は錆びずにきちんと鞘に納められている。
それは自身のホームページにあるブログで確認出来る。時々は、ぎらりと我々の喉元に突きつけられる。
今年の3月、金沢を旅行した。
おそらくは同じ頃、藤原さんも彼の地を訪れている。
同じ時期に、同じ場所に立ち、同じ視点で撮った写真。
しかし、さすがは藤原新也。
僕の写真とは観点が微妙に違う。
僕は、その看板自体を面白いと思い、彼は看板を含めた古都金沢を、少し引き気味の構図で切り取る。
さすが。
(僕も確か手前の石畳も入れたかったのだけど、看板の文字が小さくなることを懸念してアップにしたんだよな)
そして、尾道の養老温泉の部屋の、床の間の写真。
こんな写真はなかなか撮れまい。
これまでいろんな刺激を受け、読者にもいろんな刺激を与えてきてくれた彼だからこそ、何気ない日常が幸せなんだよ、それこそ本来大事にしないといけないものなんだよということを、本当の意味で教えてくれる気がするのは僕だけだろうか。