中村 妙子, 東 逸子
今日配信された「[JMM302F]「クリスマス・イブ物語」オランダ・ハーグ」より。
その中で、もう100年以上も昔の1897年のこと、ヴァージニア・オハンロンという8歳の少女がニューヨークの新聞、「ニューヨーク・サン」紙に「サンタクロースはほんとうにいるのでしょうか」という投書をしたという有名な話が紹介されている。
恥ずかしながら、今までこの話を知らなかった。
ヴァージニア、サンタクロースはいるのですよ。目には見えないけれど愛と親切と献身とが存在するように。もしこの世界にサンタクロースがいなかったら、どんなにつまらないことでしょう。それはこの世にヴァージニアがいないのと同じほどつまらないでしょう。そこには、子どもらしい信じる気持もなければ、われわれに生きる望みを与えてくれる詩も夢もないことになります。子どもたちがいるからこそこの世に満ち満ちているあの永遠に輝く光が消えてしまうことになるのです。
…
サンタクロースを見ることは誰にもできません。しかし、それでもサンタクロースがいないということにはならないのです。この世で一番真実なものは大人にも子どもにも見えないものなのです。… この世で見えないものの中に隠されている不思議な魅力をすべて知り尽くし想像し尽くすことは誰にもできません。信仰faith, 詩 poetry, 愛 love, romanceのみがそのカーテンを押し開いて、その向こうにあるえもいわれぬ美しさ、栄光を見せてくれるのです。ヴァージニア、この世の中にはこれ以上に真実で永遠なものはないのです。
ここ最近の話題作に「Load Of The Ring」シリーズがある。
高校生の頃、SFにハマっていた僕は、原作をむさぼり読んだ記憶がある。映画ももちろん、全て観たが、原作の雰囲気を壊さない見事なものだった。
こちらも高校時代、そんなに話題にならなかったが、映画館で観て、感動したもの。
ファンタジーとか、SFとかいうジャンルは、とかく馬鹿にされがちだった。父親からは「子供のような」「現実逃避」というように言われていた。ただ、人からなんと言われようと、僕はその世界を否定するつもりはなかった。
では、僕にとってファンタジーとは何なのか?
現実逃避と言われれば、そうかもしれない。しかし、現実逃避したくない人なんて、いるのだろうか?僕は、そんな人がいたら、きっとその人は現実を見ていない、知らない人なんだろう、と思う。もちろん、あっちの世界に行きっぱなしでは、自分が困る。
北野武監督が、何かのインタビューで、お笑いとシリアスな映画を同時にするのは振り子のようなものだ、と答えていた。
僕にとってファンタジー(広義の意味で)も、同じようなものだ。(たいていは面白くない)現実と、空想の世界。
しかし空想の世界と言っても、現実の人物が作り出す以上、そこは現実の世界の投影されたものである。
自分の夢に向かって、人はいろんな努力をする。そして、自分の幸せのため、その夢をひとつずつ、現実にしていく。それこそ、ファンタジーではないのか。
電気や水素自動車,ロボットまでもが現実のものになった。宇宙旅行も不可能ではない。
僕は、ファンタジーの主人公でありたい。