今日の宮崎日々新聞、「戦後60年と新たな戦前/辺見庸」を読んで。
辺見さんに関しては、「もの食う人々」「反逆する風景」「ゆで卵」「夜と女と毛沢東(吉本隆明氏との共著)」が既読である。
この人の言葉には、容赦がない。研ぎすまされた感性で、世の中を睨みつつ、言葉のマシンガンをぶっ放す。ただのスケベではない。
歴史というのは、それを深く意識する者の眼前にしか生々しくたち現れないものだ、と史家はいう。何気ない日常の風景にいち早く変調を読み取ること、それが歴史を見る眼だともいわれる。とすれば、区切りのいい周年を歴史の転換点のように語るのは、もっともらしいけれども、かえって怪しい。
数えやすい周年をきっかけにして「時代の趨勢」が論じられるとき、実のところ、時代はつとに曲がり角を曲がっており、論者は決まって趨勢を正当化しようとする。自衛隊派兵やむなし,改憲やむなし、と。さても危うくなくはないか。