哀しき願望

「愛猫そっくり」 米企業、クローン猫を5万ドルで販売

我が家では、歴代3匹の犬を飼って来た。今は、みんな亡くなってしまったが、彼らと過ごした日々は、楽しい思い出とともに、人生の示唆を多分に含んだものだった。

「可愛がる」という行為(とあえて言うが)は、対象を「愛する」ということとは微妙に違う気がする。そこには、対象のことを優先して考えることよりも、自分の欲求を満たしたい、という欲望を強く感じるからだ。

ペットを愛玩するということは、端的に言って、自分の寂しさを紛らわせたり、日常の生活にちょっとしたアクセントが欲しい、という欲望の現れだろう。


もちろん、高いお金を出してペットショップで血統書付きを買ってくる人ばかりでなく、捨てられてほっとけば死ぬかもしれない犬や猫を家に連れて帰ってくる人もいるだろう。

しかし、僕は安易に、生き物の生死に関わるということはしたくない。

それは、その「生」の尊厳自体を軽んじてしまうかもしれない、からである。

それまで一緒に生活していた存在が、死んでしまうことは哀しいことである。しかし、生あるものはいつかは死ぬ。これは誰も避けられないことである。

はたして、クローン猫で自分の欲望を満たすことが、肯定されるのか?これは真剣に考えなければならない問題だ、と思う。

人類は、高度に発達した文明によって、様々な欲望を満たして来た。そしてそれは,未だ止むことを知らない。

既稿「食器洗浄機」も然り。

先日の「ファンタジー孝」と矛盾するように感じるかもしれない。しかし、肝心なのは、自分にとって幸せとは何か、幸せになるためには何をするべきなのかということを、しっかりと常に考える必要がある、ということだ。

クローン猫を5万ドルで「買った」女性は、本当に幸せになれるのだろうか?

人ごとではなく、僕ならどうだろう、と考えたい。

「哀しき願望」への1件のフィードバック

  1. クローン猫

    アメリカの米ジェネティック・セービングズ・アンド・クローン(GSC)社が、一般の人からの依頼を受け、クローンの猫を販売した。価格は、5万ドル(約518万円)だそうだ。 米ベンチャー企業が注文受け誕生、販売 米カリフォルニア州のベンチャー企業が、

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