未だ、イラク

「通販生活」2004冬号で、秋号での「イラク人質事件の自己責任論、是か否か。」の国民投票の結果発表があった。

結果は人質と家族の責任を激しく問うた大宅栄子さんの説が1位。

このように「自己責任を問われるべき」との意見が過半数を占めた。

うーん、僕としてはやっぱり、何かお腹の中に異物があるような、そんな感じを受けてしまう。


で、読者からの意見も、それぞれの立場から載せてあるのだが、「問われるべきだ派」の意見に意外に多いのが、「考えが甘い」「利己的」という言葉。

ちょっと待ってほしい、と正直、思ってしまう。

物見遊山で戦時中のイラクに行ったのならば、「台風の海でサーフィンをして遭難すること」と同じ、といわれてもしょうがないだろうけど。

危険の認識度がどれだけあったか、という点も実際現地にいた当人と、せいぜいテレビの画面でしか見ていない僕たちと、一体どのくらいの正確な情報の違いがあったのか。

そういうところは、しっかり考えておく必要があるんじゃないかな、と思う。

「迷惑をかけられた」と感じる方が、「利己的」と言えなくもないよね。

肝心なのは、拉致被害者や残念なことに命を落とされた方は、あくまで被害者であって、非難されるべきは、犯人たちと、犯人たちがそうせざる得ない状況を作り出した者たちである、と思う。

そう考えると、自衛隊のイラク派兵の是非から、イラク戦争の意味まで再考する必要が出てくるのではないか。

そういった思考を経ないでものを言うのは、「無責任」?じゃないのだろうか。

「政府の決定」を重んじるのは当たり前と言えば、当たり前だけど、イラク派兵の件には個人的には疑問なので、逆に、自分の納得のいかない決定のために苦しんでいる人たちを助けたいと思う気持ちはよく分かる。

実際にイラクに行くかどうかは別だけど。

だからなおのこと、実際現地でNGOの活動をされたり、自分の足と目で真実を伝えようとした人たちを「無責任」には非難できないなあ。

「政府の決定だから」という理由で、思考停止になるのは凄い危険なことだと思う。

そんな中で、僕の地元、宮崎日々新聞社では、事件直後から社説等で自己責任を安易に問うべきでないという意見を掲載し続けた。

当事者の中に宮崎出身者がいた、ということもあっただろうけど、一地方紙が世論に安易に傾くことなく自説を展開したのは、頼もしかった。

でも、難しいよね。じゃあ、お前はどうなんだ、と言われても、イラクに行って何が出来る訳で無し、行く勇気も無し、イラク派兵反対のデモをする訳でも無し、結局ただの一小市民かよ!てな具合で。

考え続けることが、大事、かな?

「未だ、イラク」への1件のフィードバック

  1. 追記。
    結局、今回の派兵問題で一番引っかかっているのは、日本政府の対応が「国益のため」の「利己的なもの」である、ということだと思う。
    本当に、イラクの人たちの立場を考えての対応だろうか?
    僕の考えは間違ってる?

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