今朝のNHKのニュース。アメリカでのお話。
米国内では数字の上では順調な景気回復傾向にあるそうだが,失業率は改善されていないという。
製造業はむろん,IT関連企業までが海外へ事業を委譲し始めているからだそうだ。
番組の中で,会社をリストラされた50代の男性のインタビューがあった。
「20、30代のばりばり働く連中と競争しなければならない」とのコメントがあったが,労働者にとって厳しい現実だ。
話は変わるが,最近,宮崎県教育委員会では「校長、教頭ら管理職を部下の教師が評価するとともに,授業の実践能力に優れた教師は校長,教頭と同格に抜擢する」(宮崎日々新聞、6月23日付くろしお欄)制度の試行を始めた。
年功序列という制度が、一つの転換期にある象徴的なことと思う。
しかし,と思う。
アメリカの「自由主義」が、強者の論理であることは、今更ながらではあるが,対して,日本の「構造主義」、ひいては小泉「構造改革」とは何なのだろうか。
「年功序列」を始めとするこれまでの悪しき日本的慣習が、様々なパイプの目詰まりになって来たことは事実だと思うが,それでは,それらを捨て,「米式自由主義」に習えば,未来の日本が存在するのだろうか。
そうは単純に行かないだろう。それはまさしく,今のアメリカが示している。
「自由」と「平等」のバランスを、理想的にとった社会モデルはこれまで存在しなかった。
東京は、世界で一番生活費の高い都市だそうだ。そんな国で,冒頭に書いた状況が生まれれば,いったいどういう事態になるのか。
僕も,政治や経済のムズカシイ話はよく分かんないのだけれども,それでも,無関心ではいられない状況だ,とは常々感じている。