今日は、デュトワのボレロを堪能しようと出かけた。
10回目を迎える音楽祭も、今日が中日。「色彩の華」と副題をつけられた演奏会は、プロコフィエフ、ストランヴィンスキー、ドビュッシー、ラヴェルと、デュトワの十八番ばかり(?)のプログラム。いやが上にも、期待は膨らむ。
僕がデュトワを初めて聴いたのは中学生の頃だ。
モントリオール交響楽団, ラヴェル, デュトワ(シャルル), モントリオール交響合唱団, ハッチンス(ティモシー), ラクールス(ルネ)
あとにも先にも、この「ボレロ」以上のものを聴いたことが無い。繊細さと優雅さを遺憾なく発揮した名演。
これに比べて、カラヤンのボレロは、個人的には好きになれない。全く別の意味で良かったのは、これもずっと昔「N響アワー」の話だが、アバド&N響も、ダイナミックな演奏で感動した。
さて、今日のオケは「宮崎国際音楽管弦楽団」。コンサートマスターは、徳永二男さん。
徳永さんと言えば、それこそ僕が中学~高校生の頃のN響のコンサートマスター。
むむっ!
1曲目。プロコフィエフ「交響曲第1番二長調 op.25 古典交響曲」。
のっけから、繊細な弦のアンサンブルに鳥肌が立ちそうになる。
’99年にはモントリオール響と来宮しており、その時には諏訪内晶子さんと「ヴァイオリン協奏曲第1番 ニ長調 op.19」の見事な演奏を披露してくれた。
曲自体はとても聴きやすく、デュトワの片鱗を感じる。
2曲目はストラヴィンスキー バレエ「火の鳥」(1919年版)。
これが素晴らしかった。繊細な部分と、ダイナミックな部分を巧に演出し、そして「終曲」へ。これぞデュトワ!これを聴けてよかった。
ところが、3、4曲目から、印象が変わってしまう。
4曲目は今日のお目当てラヴェル「ボレロ」だったのだが、急造オケ(?)のミスが、どうしても気になった。メンバーの力量の差がありすぎる気がした。特に管。
出だしのフルートでつまずくと、それを最後まで(聴き手の立場なんだけれど)引きずってしまう。ボレロのような、シンプルな構造の曲は特に目立ってしまう。
デュトワ自身も「こんなのオレのボレロじゃない!」と思ったかどうだか分からないが、拍手喝采だったのだけどアンコールは無かった。
僕が素人耳なのかなあ?
次はぜひ、常任しているオケで、「ボレロ」を聴いてみたい。
(’99年の「スペイン狂詩曲」とプロコフィエフは本当に素晴らしかった)