Economize (in) Power

Economize (in) Power

レコーディングデータ:
G:Godin xTSA,AriaPro2 RS
Effector:Zoom G2.Nu
G.Syn.:Roland GR-30
mixer:BEHRINGER  XENYX802
audio interface:BEHRINGER UCA222
DAW:GarageBand ver.5.1
PC:mac mini OS X10.6.8
plugin:BFD Eco,Kontakt,Independence Free,Sample Tank,Crystal,LoudMax,etc.
MIDI key:M-AUDIO Keystation61es
monitor:Classic Pro CPH7000

ギターはすべて「G→G2.Nu→XENYX802→UCA222→mac mini」という流れ。
G2.Nuも直接USBで繋げられるが、レイテンシーがひどいことと、XENYXを通した方が音がタイトになる、ため。
基本の音はG2.Nuで作り(バイパスの場合もあり)、PCに取り込んだ後、GarageBand内でのエフェクト処理も必要に応じて行った。Mainstageのエフェクトも追加済み。
Kompleteに含まれるGuitar Rig5は今回使用していない。

ジャズ・クルセイダーズin東京ジャズ2010

“今年最強の”台風19号が近づいている。
一番近づくのは明後日らしいが、昨日から強風が吹き荒れている。
大事を取って、早々に雨戸を閉めた。
こんな夜には、じっと身を鎮めるに限る。

録り貯めておいたビデオを見る。
4年前の東京ジャズ。
ジャズ・クルセイダーズは、ウェルトン・フェルダーが体調が思わしくなく不参加。
この時渋いプレイを聴かせてくれたジョー・サンプルとウェイン・ヘンダーソンが今年になって鬼籍に入ってしまった。

実に楽しそうな彼らの姿を見てると、胸が熱くなってきてしまった。

帰ってきた白雁 Snow Goose: Re-Recorded Edition/CAMEL


CAMELのAndrew Latimerが、闘病生活から復活した。

彼が骨髄繊維症という難病であることが発表されたのは2007年のこと。92年より発症していたらしい。
そして骨髄移植を受けたそうだ。

2003年より実質活動停止状態にあったCAMELだが、最後に発表されたツアーDVDのタイトルは「The Opening Farewell」。ツアー自体もFarewellを謳っており、Andy自身も、最後を覚悟していたのだろう。
​30年来のファンとしては、もう彼の曲も、ギターも聴けないのかと、寂しく思うしかなかった。

今年8月に、CAMELの存在を教えていただいた恩師に久しぶりに会いに伺い、CAMEL談義に花を咲かせ、Andyの状態を心配しながら二人で復活を願っていた。

そうした折、CAMELが活動を再開、ツアーも行い、なんと「Snow Goose」を自らリメイクする、というニュースが飛び込んできた。

Facebookでツアー写真が公開され、CD発売のアナウンスもあり、楽しみにしていた。

CAMELは僕のフェバリットバンドだが、彼らの代表作に挙げられる「Snow Goose」は、実は僕の中ではさほど評価は高くなかった。
決して嫌いな訳ではないが、他に好きなアルバムがあるだけのことなんだけど。意外と、ランクリストでは下の方だったり。実のところ、あんまり聞き込んでいるとは言い難い。

しかし、このリレコーディング、実に素晴らしい。
オリジナルのオーケストラパートはキーボードに置き換えられ(とはいっても最初は本物のオーケストラが入っているのかと思った)、アレンジも大きな変更はないものの、確かに「今の」CAMELの音だ。

思うに、Andyは病床にあって、一度は死を覚悟しただろう、そしてこの名盤を1975年に共に作り上げ、2002年に癌で亡くなったPeter Bardens(このアルバムは彼に捧げられている)に思いを馳せたのだろう。そして、このアレンジを練っていったのではないか?と思わせる。

そうか、だから「Snow Goose」だったんだ。

なにより、音楽が出来る喜びに溢れている。それだけではない。何か悟りにも似たような、元々静かな泣きのフレーズを得意とするギタリストだけど、さらに透明感が増したような、ギターが歌っている。
一昨日、僕の手元に届いてから、既に何度聴いただろう。

残念なのは、先述の恩師が9月に急逝されたことだ。
T先生、Andyはまた素晴らしい音楽を届けてくれましたよ。

 

このアルバムはポール・ギャリコの小説を基に作られている。
こちらもお薦め。
CAMELをバックに物語を読めば、涙腺が緩みっぱなしになることは請け合います。

と、この年の瀬に、大滝詠一さんの訃報が飛び込んできた。
心より、ご冥福をお祈りいたします。
さらば、シベリア鉄道・・・

Fuji ’08Absolute3.0 ホローテック化

5年の付き合いになる愛車のBB周りで、どうやらベアリングの虫食いらしい違和感を感じ始めたので、消耗品である事だし寿命かな?という事で交換に着手。

そこで問題になってくるのが「規格」で、BB(自転車のクランクが付くフレームの一番下の部分)にいくつか規格があり、調べたところ「JIS68mm」である事が判明。
こちらを参考にした。
チェーンホイールはトリプルなので、軸長は122mm。
単にBBのみの交換なら「シマノ SHIMANO BB-UN26 ボトムブラケット 」で、1500円ほどで済むんだけど、以前からデフォルトで付いていた「52T(チェーンリングの歯数)」のアウター(トリプルの一番外側)を持て余し気味だった(つまり、重過ぎて使わない)ので、いっそのことチェーンホイール丸ごと交換しちゃう?という妄想が膨らむ。

で、先の掲示板ではシマノのTiagraを推奨していたので、素直に従ってみた。
購入したのは、
FC-4603 50x39x30T 10S(クランク長/歯数:175mm×50-39-30)
SM-BB6700 BBアダプター(BBシェル幅:68mm(JIS:BC137))
Bicinet Sana

合わせて専用工具も購入。
バイクハンド YC-27BB ホローテックII用レンチセット YC-27BB

13_06_03absolute_hollowtech04
こちらが改造前最後の勇姿。

13_06_03absolute_hollowtech03
こちらはスクエアテーパー式のBB&クランク。まずはクランクキャップを外す。

13_06_03absolute_hollowtech05
「コッタレス抜き」という工具を使ってクランクを外す。

13_06_03absolute_hollowtech06
BB軸が出てきた。
これも専用工具を使って両側から外して行く。JIS規格は右(チェーンホイール)側は逆ねじ、左(写真)側は正ねじ。

13_06_03absolute_hollowtech07
現れ出たBB本体。すっごく重い(笑)
やはり手で軸を回すとゴリゴリ感がある。寿命だな。

13_06_03absolute_hollowtech08
フレームのBB。まだまだ錆は来ていないようだ。古いグリスを綺麗に拭き取って、いよいよ新しいクランクセットをセッティングしていく。

13_06_03absolute_hollowtech02
Tiagraではなく、上のグレードのUltegraのホローテックBB。Tiagraに比べて500円位高いんだけど、こちらがお薦め、とあったので。おそらくベアリングの精度がいいんだろう。
先に外した古いカートリッジ式のBBとの重量は、雲泥の差。軽い。

13_06_03absolute_hollowtech01
これがチェンリーング&クランク本体。
今まで付いていた「スクエアテーパー式」は、クランクを回転する軸に取り付ける形だったのが、写真で分かる通り、構造が全く違う。
BB自体はただの筒になり、クランクと軸が一体化されている。
この軸をBBの中を通す形となる。

13_06_03absolute_hollowtech12
こちらが取り外した古いチェーンリング&クランク。

13_06_03absolute_hollowtech09
BBの取り付けに専用工具を使用。
この後、右側からBBの中に軸を通す。
手では入らないので、クランク軸中心を、慎重にゴム槌でゆっくり叩いて押し込んでいく。
しっかり入ったら、左側のクランクを取り付ける。

13_06_03absolute_hollowtech10

13_06_03absolute_hollowtech11
ペダルを取り付けて完成。
正直に白状すれば、デザイン的にはアレなんだが、見かけより実用性重視なので、改善されれば、まあ良しとしよう。
朝飯前、にするつもりが7時から初めて終わったのは9時だった。朝飯抜きに。とほほ(/・ω・)/

後日、伸びきったチェーンも交換。
アウターの歯数も変わったので、フロントディレイラーの位置調整と変速調整、チェーン交換によるリアディレイラーの変速調整も行う。

早速、宮崎市内まで往復40km試し乗り。
クランクを手で回しただけでは良く分からなかったが、なるほど、ペダリングの力がダイレクトに伝わってる感じがある。
構造的に想像できるが、思ってた以上に効果がありそう。距離が伸びれば伸びるほど、実感できそうだ。
加えて、フロント変速性能も格段にアップ。
また、とっても静か。タイヤの地面を擦れ合う音しかしなくなった。

なんといっても、50Tになったおかげでようやく実用的なトリプルになった。

改造した愛車で、別府に行って来た。

目的は、ミヤマキリシマを訪ねて由布岳登山。
山並みハイウェイを登山口まで自走し、登山する予定だった。

5月24日、お昼過ぎに自宅発。佐土原駅を目指す。
15時47分発「にちりんシーガイア20号」に乗る。
宮崎市内から大分・別府には、往復の特急指定席券で1万円の割引切符がある。
にちりん乗るのは、久しぶりだなあ。

延岡を過ぎ、山の中に入った辺りで、母からメールが。
茨城の叔母が亡くなったそうだ。
どうやら、予定変更になりそうだ。

日豊本線はほぼ国道10号線と並行してあるが、延岡から大分の車でのルートは、現在では10号線ではなく三重町回りの326号線がメインとなっている。
10号線を走る車は少なく、県境となる宗太郎峠もさほど厳しいものでもなく(多分)、機会があれば延岡〜佐伯間は自走を楽しんでみたい。
この辺り、山間の川沿いを走る気持ちのよい道。

19時前に別府着。愛車を輪行袋から取り出し、手早く組み立てる。
今回は雨の心配がなかったので、泥除けは外してきた。
今夜の宿は、「カオサン別府はまゆう」。なぜに別府でカオサン?という疑問は置いておく。
しかし、ドミトリーのゲストハウスも久しぶりだなあ。
1,707円(?)という微妙な価格でも温泉掛け流しは、さすが別府。

実家からの連絡を待っていたが、やはり次の日の登山は取りやめて帰宅する事にする。

次の日、何だか物足りないので、早朝に別府湾をポタリングする事に。
4時過ぎに起床し、マリンパレス(今はうみたまごと言うのね)を目指す。

気持ちいいー!!!

人工の海水浴場?みたいなところがあったので、コーヒーを入れ、朝食とする。
何とも、(いろんな意味で)贅沢なモーニングとなったものだ(笑)

7時過ぎに宿に帰り、朝風呂。これまた気持ちよい。
10時前の「にちりんシーガイア号」で一路宮崎を目指す。

まだまだ物足りないので(笑)、高鍋で降り、西都経由で自走する。
綾まで2時間ほどの距離だが、登りもそこそこあるのでテストランにはいいかな。
サイクランドおくぐちに立ち寄り、15時前に無事帰宅。

今日まで200kmほどを走ったが、改造の手応えは十分。
結局1万円超の出費となったが、納得満足の行く結果だった。
費用対効果は大きいので、ちょっと古くなった低価格クロスバイクをお持ちの似たような境遇の方にはお勧め(^_-)

今日の1枚#14「Harmony of the Spheres/Neil Ardley」

このアルバムも初めて聴いたのは20年前。冬の瀬戸内海の風景がなぜかマッチして、愛聴していた。

Neil Ardleyはキーボーディストと執筆家としてのキャリアを持つ。どうやら法学と化学の学位も持っている?らしい。へぇー
実はこの人の経歴はあんまり知らない。何枚かアルバムを出しているらしいが、これしか知らない。当時のMarquee誌のレビューを見たんだっけな?

音はというと、本業がkeyの割に結構スカスカな感じです。ベースの方が引っ張ってたりして。
当時はまだまだポリフォニックシンセサイザーの能力が低く、Arpを使ってたらしいけど、線が細いし、音数も決して多くはない。

しかし、真に良い音楽とはそんなことは関係ない、と思わせてくれる名盤。

「Upstarts All」から始まる旅は、その先のわくわくを十分に予感させてくれる。
ジャズロックのカテゴリーに分類されることが多いけど、Weather ReportやMahavishnu Orchestraとはずいぶん毛肌が違う。Soft Machineともまた違う。
あの頃のブリティッシュ・プログレッシヴ・ロックの亜流と言われる、いわゆるカンタベリーロックの香りがたっぷりつまっている。

そしてラスト「Towards Tranquility」。
もう、この曲を聴くためだけに、このアルバムを推薦します。
もちろん、この曲はアルバム全体を聴いた上で最後に聴くべく作曲され、配置された曲。
硬質なベースがリズムを刻み、女性スキャットが虚空を舞う。
シンセサイザーはシーケンシャルなフレーズ、トランペットとボーカルがユニゾンでメロディを奏でる。
いかなる時でも、期待に違わず聞き手を異次元に誘ってくれる。

僕にとっては、宮崎のムシムシした真夏の夜でも、冬の瀬戸内海、あるいはスコットランドの枯れた台地、フィヨルドの白夜に一気に連れて行ってくれる、そんなアルバム。

ちなみにNeil Ardleyは2004 年 2 月逝去。

ノーバディズ・フール

いやあ、いい映画だ。

物語は、アメリカのとある田舎町。
町が小さ過ぎて、顔見知りばかり。悪い噂も、いい噂もすぐに広まってしまう。
夜になると、酒場にたむろしポーカーにいそしむ“バカな”大人たち。

この映画には、取り立てて事件があるわけでもなく、セックスがあるわけでもなく、流血事件(あ、警官が鼻血出すなそういえば)があるわけでもない。
ただの田舎町の日常を描いた作品。

それだけに、サリー(ポール・ニューマン)の、酸いも甘いも知りつくした大人の渋さがかっこいい。
それを取り巻くどうしようもない大人たちもまた、魅力的だ。

例えば、雪かき機の一件は、サリーが雇い主である建設会社の社長(互いに裁判係争中)に借りようとするが、断られる。
社長(ブルース・ウィルス)も売り言葉に買い言葉、つい意地を張ってしまうのだが、サリーはなんと、社長の奥さん(後にサリーと駆け落ちを計る)に「貰っていくよ」と一声で持って帰ってしまう。
それから、マジの泥棒ごっこが始まるのだが(笑)、大人げないように見えて実はそうではない。
毎日、狭い町のどこかで顔を合わすのだ。本気で怒っていれば、怒鳴りあいの喧嘩になるだろう。
しかし、互いに顔を合わせている時には素知らぬ振りをし、夜中に盗みだす。
喧嘩になれば、町でお互い暮らせなくなることは百も承知なのだ。
つまり、互いが大人じゃなければ、この“泥棒ごっこ”は成り立たないのだ。

Nobody's Fool [抜け目のない、賢い]

クリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」と同系統の作品だが、時代がちょっとノスタルジックなのと、「グラン・トリノ」は基本的にイーストウッドの独り舞台だけど、こちらは脇役(ジェシカ・タンディ、ブルース・ウィルス、メラニー・グリフィス等々)が素晴らしい。

何年か経ったら、また見たくなるに違いない1本。

追悼 原田芳雄

大鹿村騒動記」を観て来た。原田芳雄の遺作となった作品。

長野の山奥の村で起こる、とある“事件”。
笑いあり、泣きもあり、いい映画でした。実在する大鹿村の秋の美しい映像もあり。
お薦めです(^_-)

原田さんと言えば、いろんな作品に出演され、ニヒルでクールな役どころが印象的。
宮崎にも縁が深い黒木和雄監督作品にも多く、出演。

印象に残っているのは「美しい夏キリシマ」「オリヲン座からの招待状」かな。

昭和の偉大なヒーローがまた旅立たれた。

合掌。

太陽のメロディーの口蹄疫と統一地方選挙

先日、友人のところに中古のピアノが入った、ということでお披露目パーティにお呼ばれしてきた。
そこで最後にみんなで「太陽のメロディー」を歌おう、となったのだが実はその曲を聴いたことがなかった。
この曲を知らないなんて!宮崎県民じゃない!くらいの勢いでお叱りを皆から受けたのだが、どうやら口蹄疫支援のために宮崎出身のミュージシャンたちが作ったものらしい。

泉谷しげるさんが音頭を取って盛大な野外コンサートがあったことも知っているし、それには知り合いの歌手も参加していた。
しかし、普段あまりテレビラジオと縁がない生活をしているため、そんなに耳にする機会がなかったようだ(聞いたところでは、一時期へビーローテションだったそう)。

口蹄疫が宮崎で大流行し、畜産業界はもちろん宮崎の経済全体を巻き込んだ騒動になったことはいまだ記憶に新しい。
しかし僕はその時、少々冷めた気持ちで事態の推移を見守っていた。

というのも、報道で見られる様々な反応というものが、ほぼ全て「経済的な」問題に対しての悲観であり、不謹慎を承知であえて言うけど当事者である畜産農家の方々であっても「牛を殺すのはつらい」とは言いつつも、誰も「うちのかわいい牛たちを殺さないでくれ」とは言わなかった(個人所有の種牛の件もあったけどそれはまた別)。

そこに僕は居心地の悪い違和感(それは「殺処分」という表現が端的に表している)を感じていた。

不謹慎、と書いたが当時はこんなことはとても言える雰囲気じゃなかった。
今でももちろん、このブログを見て不愉快に思う人も少なくないことは容易に想像がつくが、僕はこの自分が感じた違和感に向き合わなくてはならない。

それは人々がたとえ家畜であっても「生命」と「経済性」を天秤にかけ、「お金」を取ったということはどうしても自分の中で無視できなかったということだ。
それは畜産農家だけではなく、「仕方がないこと」と受け入れた我々消費者も同様である。いつから日本人はこうなったのか。

渡辺京二著「逝きし世の面影」 (平凡社ライブラリー)第12章「生類とコスモス」によれば、明治維新の直前までの日本人は家禽を家族同然に考えており、少なくとも当時日本を訪れた西洋人の目にはそれが驚きを持って映った様子が紹介されている。
西洋人が食するために農家から鶏を買ったものの、数時間後くだんの農民が「自分が育てたものが殺されるのが忍びない」と買い戻しに来たという。これが牛であっても同様だった。
それのみならず、牛乳を人間が飲む、ということは子牛からそれを収奪するものだと考えていた向きもあるらしい。

徳川期の日本人にとっても、動物は確かに分別のない畜生だった。しかし同時に、彼らは自分たち人間をそれほど崇高で立派なものとは思っていなかった。人間は獣より確かに上の存在だろうけれど、キリスト教的秩序感の場合のように、それと質的に断絶していはいなかった。草木国土悉皆成仏という言葉があらわすように、人間は鳥や獣と同じく生きとし生けるものの仲間だったのである。宣教師ブラウンは1863(文久3)年、彼を訪ねて来た日本人とともに漢訳の「創世記」を読んだが、その日本人は、人間は神の最高の目的たる被造物であるというくだりにくると、「なんとしたことだ、人間が地上の木や動物、その他あらゆるものより優れたものであるとは」と叫んだとのことである。

そして現代とは違う死生観、いや常識を持っていたようだ。

徳川期の日本人が病者や障害者などに冷淡だと見なされたとしたら、それは彼らの独特な諦念による。不運や不幸は生きることの付き物とし甘受されたのだ。他人の苦しみだから構わないというのではない。自分が同じ苦しみにおちたときも、忍従の心構えはできていた。近代ヒューマニズムからすれば決して承認できないことだが、不幸は自他ともに甘受するしかない運命だったのである。彼にはいつでも死ぬ用意があった。侍の話ではない。ふつうの庶民がそうだったのである。

現代では健康保険や年金(場合によっては生命保険も!)に入っていないと心配な人が多いが、そんなものがなかった時代でも日本人は平和に生きていた。全てが自己責任であった。
現代人は「社会保障」によって、そういった自然に持って生まれた「(ある意味での)野生」を忘れてしまったとも言えるのではないか。
「社会保障」が悪いわけではない。心身ともにそれに頼り切ってしまう人間の問題だ。
それは有権者としての責任を棚に上げ政府責任を叫び、消費者としての社会的立場を理解して日々をおくっているのかを省みることなく企業責任を叫ぶ我々の態度ではないのか。
(僕のバックボーンを補足させていただく。父親が獣医であり、当時現場の最先端で陣頭指揮にあたった家畜保健所の方々の中には、子供の頃からお世話になった方々も含まれている。また僕の学生時代の専攻は生物学であり、学者を志した時期もある。一般の方よりも現場をイメージしやすかったのではないか、と思っている)

ピアノお披露目パーティと同じ日に、統一地方選挙が行われた。
先の東日本震災と福島第一原発事故を受け、ネット上では脱原発への議論が活発化し、東京都知事選では推進を表明した現職の石原慎太郎氏に対して、僕が見る限り反対意見が多かったように感じた。また、同日1万人規模の反原発デモも東京で行われた。
これを機に、脱原発、自然エネルギーへの転換が選挙でも主な争点になるかと思われた。

ところが、圧倒的得票で石原氏は再選、原発が立地する北海道と福井、島根、佐賀の各県の知事選も、原発問題も選挙戦の大きな争点となったものの、いずれも現職が当選した(ただしどの知事も安全対策向上はうたっている)。
もちろん、候補者を選ぶ基準はエネルギー問題だけではないだろう。しかし、有権者の中でどの問題が最優先課題なのか、ということが今回の選挙結果に現れたわけだ。

ところで、宮崎県議会議員選挙での有権者の自然エネルギー推進の意識分析を行ってみた。
こちら
事前のアンケートによって自然エネルギーを推進する意志を示した候補者の得票数(落選含む)は「99,459」であり、これは当日有権者数「784,326」に対して「12.68%」であった。
もちろん、無回答の候補者もいるし、有権者がエネルギー政策のみで投票したわけではないのであくまで参考の数字ではある。
当選した候補者のみでは得票数は「77,414」であり、当日有権者数に対して「9.87%」である。
これをいささか乱暴に解釈すれば、宮崎県において自然エネルギー推進の民意は県政に1割に満たない影響しかない、ということになる。

おそらく、他県でも大差ないのではないのか。
その候補者が脱原発を最優先課題にあげたとしても、候補者自身に政治家としての魅力がなければ有権者は投票しないであろうが、しかしこの結果に愕然とした。
(ちなみに僕の住む選挙区は無投票当選。これもどうかと思うが。加えて史上最低の投票率49.02%であった)

ネット上(主にツィッターとmixi)でもやはり驚きの感想が多かったように感じたが、どうやらネットで自主的に情報を集めようとする人たちと、既存マスメディアからの情報を主とする人たちとの間の温度差がかなりあるようだ。

今回の原発事故で、これまであまり関心のなかった人たちも「反原発」を叫ぶようになり、それに対して批判的な意見もあるが、これは生物としての本能から「何かヤバいぞ」と直感しているからであり、当然の反応だと思う。
むしろ、それを感じられなくなっている日本人が僕が思っている以上に多いことに驚かされる。

問題は、そんなに難しい話ではないのだ。
本当に大事なのは「命」であって、けっして「お金」や「経済性」ではない。
ここにも、口蹄疫事件でも感じた「違和感」が厳然としてある。
いったい、日本人はどこに向かおうとしているのか。

ところで「太陽のメロディー」。普通にいい曲です。

徒然なるままに

↓