スポーツというもの、その勝負に賭ける血と汗と涙が、時に人の感動を誘います。
僕も、少年時代には、剣道、サッカーを続け、大学進学後は登山、カヌー、サイクリング、三十路を過ぎてからはテニス、バレーと、特に球技・アウトドアは大好きであります。
もちろん、観戦するのも好きで、サッカーの試合は機会があれば見逃しませんし、野球も時々は観て楽しんでいます。
しかし、これがプロ、となると純粋な勝負だけではなく、興行としての銭勘定がついて廻るようになります。
その結果、例えばオリンピックの過剰すぎるショー的演出、度重なる薬物違反とそれに付随する“記録の信頼性の低下”などなど、いくつかの弊害が問題になっています。
また、巨大メディアとの連携(癒着)によって、過大に作られたイメージが、若き才能をピークに達する前に潰してしまう、ということも起こりえます。
要するに、選手は、ただの捨て駒に過ぎません。お金になる、と思えばいくらでも持ち上げるでしょうが、そうでなくなったら手のひらを返すだけのことです。
代わりはいくらでも居るのです。
それが「プロ」というものであるかもしれません。
でも、スポーツファンは、それで面白いと思うでしょうか?
これは何もプロスポーツに限った話ではありません。
モノ作りの世界でも、「プロ」であることとは何なのか、常に考えなくてはなりません。
お金になるものを作らなければ、もちろん生活していけませんが、しかし売れるから、といって一見「個性的」に見えるような装飾を施した小手先のものを作っても、結局は長い目で見れば生き残っていけないでしょう。
目先のお金をとるのか、2代、3代それ以上に引き継がれて行くモノを目指すのか。
たとえ何の装飾もない、真っ白なお皿一つにも、自分の生き様が滲み出るような,そんな器を目指して行きたい、と思う今日この頃です。
後半のモノづくりに関する姿勢、心に沁みました。
常に自分がやっていることを見つめなおすのは大切なんですね。
”関する”でなく”対する”でした。
>airiさん
おそらく、何年経っても「これでいいのか」という自問自答は続くと思います。
また、ヒトというもの、ともすると安きに流れがちです。自分に鞭打って行くこと、これはなかなかに、大変なことでもありますね(^_-)
自問自答は続く・・・ですね。
そういう自分に厳しい姿勢が
よい作品を生み出すのでしょう。
これからも頑張ってください!
>なのはなさん
ありがとうございます。
応援よろしくお願いいたします。