サッカーワールドカップ、惜しくも日本はパラグアイ戦で惨敗。
いやあ、今回は楽しませてくれました。
夢をありがとう。
ところで、国内や欧州のメディアではサムライジャパンの戦いぶりはおおむね高評価だけど、南米、特にブラジル辺りでは「最も退屈な試合」と散々な評。
まあ、ブラジルやアルゼンチンの華麗な試合ぶりも見れば、さもありなん。
例えば、パラグアイ戦の終了間際、後半から投入された玉田がドリブルでゴール前まで切り込み、ディフェンスとキーパーを引きつけ、やはり後半交代の岡崎にパスを出したシーン。
あの、デンマーク戦の3点目と全く同じシチュエーション。
あのときは本田のパスは岡崎の少し前に通り、見事なゴール。
しかし、このときは岡崎は突っ込みすぎてパスは彼のわずか後方へ。
勢いがついているため、ボールはそこから5mほど転がりそのまま相手に奪われてしまう。
メッシの本当に凄いところは、あの華麗なボールさばきであることは間違いないが、ボールに対する集中力でしょう。
とにかく、ボールを自分のものにする、ボールをゴールに入れる(それが自分で有る無しに関わらず)ことに対する意識が相当高い。
そして、それは南米の強いチームに共通してみられるものです。
例えば、メッシへのパスが途中で相手にカットされたとしても、メッシにとってはあまり重要ではないように見えます。
つまり、そこから当然の如くたとえ距離があったとしてもボールを取りに行きます。
そこに迷いはなく、味方のミスや相手の存在など関係ないかのようにメッシにはボールしか目に入っていません。
ところが、前述の岡崎は、後ろに逸れたボールを追いかけようとはしませんでした。
あー通らなかったな、と。
あのとき、相手がボールを持つまでに少し時間がありました。
もし瞬時の判断で体を反転させてボールを取りに行ったのならば、少なくとももう一度、チャンスが出来たように思います。
あの試合では、前半の松井や本田の実に惜しいシュートを除けば、このときこそビックチャンスでした。
ここで彼を非難するつもりは決してありません。
この出来事を自分に置き換えてみると、いろんな気付きがあります。
最終的な目標を達成するために何が必要なのか。何をしなければならないのか。
アルゼンチンにしろ日本にしろ、そう考えて大舞台に準備して来ているはずです。
しかしその違いは、よりシンプルに深いところまでその意識が持てているか、ではないでしょうか。
シンプルにボールを自分のものにすること。
そこからゲームは始まる。
もちろん、メッシの自分の技術に対する揺らぎない自信があることは言うまでもありません。
僕の日常の生活において、このことはずいぶん参考になるように思います。