親になるということ

昨日、妹が産気付いた。二人目、である。

僕は未婚で、まあ、今のところ結婚するようなはっきりとした徴候は、ない(笑)。

しかし、親になるとこについては、時々考える。

人の親になるということの責任の重さ。経済的にはもちろん、人間的に、この世のことを知らない子供に与える影響は、大きい。

それは、突き詰めて言えば、親になってから考えることではなく、日頃の自分の身の処し方から気をつけなければならないのではないか。

ブラッド・ピット主演の「セブン」では、老刑事のモーガン・フリーマンの台詞に、「この世に生を受けてくる赤ん坊が、はたして本当に幸せなのだろうか」という主旨のものがあったように記憶している。この台詞は、凄く印象に残っている。

誰の子供に対しても、生まれて来て後悔するような世界にすることは、出来ない。そのことは、肝に命じたい。

ところで、妹。いまのところ、まだまだ、なようです(^^ゞ

戦時下のリアリティー

26日付宮崎日々新聞、「大塚英志さんに聞く/“戦時下”のリアリティー」を読んで。

この記事を読むまで、大塚氏について何も知らなかった。顔写真も出ているのだが、見覚えがない。というわけで、先入観なしの状態でした。

「私たちはだまされたり、銃を突きつけられたりして、派遣に同意させられたのではない。占領軍として自衛隊という名前の軍隊を送り込んだのは、私たち『有権者』なのです。それを出発点にしなければならない」

続きを読む 戦時下のリアリティー

TOKYO

Overdose

Overdose

ピチカート・ファイヴ

great white wonder RARE MASTERS 1990~1996

great white wonder RARE MASTERS 1990~1996

ピチカート・ファイヴ

Pizzicato Fiveの音楽は、おしゃれでポップで心地よい。別段都会で聴かなくても、“都会的な”感覚を味わえる。ただ、聴いていて「東京」を俯瞰するような、クォータービューで覗くような感覚に襲われる。

それは、ピチカートの中で、「トウキョウ」が創られたものであるからである。それは、小西康陽という、類い稀なセンスを持ったミュージシャンの持つイメージに他ならない。これほど、「トウキョウ」を商品化した人物は、そんなにいないだろう。

地方に住んでいるので、なおさら感じるのかもしれないが、何か外国人が夢みる「トウキョウ」の素敵なイメージアルバム、そんな感じである。

続きを読む TOKYO

初釜

今日、お茶の社中で、初釜があった。早いなあ、もう3回目?4回目か?

去年は、忙しさにかまけて、ほとんど行けなかったので、今年は月2回を目標にします。

ヤバいなあ、正座が保たなくなってる。

街に出たついでに、中古でPizzicato Fiveを物色する。

夜は、車で一時間かけて書道の練習。こちらもそろそろ初心者脱出を。

田舎道のドライブでピチカート。

時代が角を曲がるとき

今日の宮崎日々新聞、「戦後60年と新たな戦前/辺見庸」を読んで。

辺見さんに関しては、「もの食う人々」「反逆する風景」「ゆで卵」「夜と女と毛沢東(吉本隆明氏との共著)」が既読である。

この人の言葉には、容赦がない。研ぎすまされた感性で、世の中を睨みつつ、言葉のマシンガンをぶっ放す。ただのスケベではない。

歴史というのは、それを深く意識する者の眼前にしか生々しくたち現れないものだ、と史家はいう。何気ない日常の風景にいち早く変調を読み取ること、それが歴史を見る眼だともいわれる。とすれば、区切りのいい周年を歴史の転換点のように語るのは、もっともらしいけれども、かえって怪しい。

数えやすい周年をきっかけにして「時代の趨勢」が論じられるとき、実のところ、時代はつとに曲がり角を曲がっており、論者は決まって趨勢を正当化しようとする。自衛隊派兵やむなし,改憲やむなし、と。さても危うくなくはないか。

続きを読む 時代が角を曲がるとき

食べること

[Stranger 012] 個人と社会 その4 by 池澤夏樹を読んで。

池澤さんのメルマガは、「新世紀へようこそ」の頃から愛読している。池澤さんは沖縄から、フォンテーヌブローといって、パリの南南東50キロほどのところにある小さな町へ移り住み、そこでの生活風景を中心に、エッセイを綴っていらっしゃる。

今回は、その食生活について。

フランスの田舎町での、「缶詰と冷凍食品以外」は何でも揃う市の風景が、克明に記されている。食いしん坊な僕など、文章を読むだけで、よだれが出てきそうになる。

続きを読む 食べること

月明かりに

今日は、村の青年部の定例会があり、先ほど帰宅。

家の前で、車のヘッドライトの前を、何かが横切った。猫、じゃない。

野兎、である。

畑で、何かを物色していたのだろうか。褐色の身体と短い耳が、はっきりと見えた。

月光の中、短いターンを器用に繰り返し、どこかに消えていった。

鳥の詩

庭にあるロウ梅の木の枝に、父がみかんを刺していた。そこに、山から下りてきた小鳥たちがついばみに来ている。

去年の冬は、鳥インフルエンザの影響だろう、鳥たちの姿が見当たらなかった。今年はそんなことも無いみたい。

ヒヨドリは、大きな身体に似合わず、案外慎重だ。近くの枝に止まって、安全かどうか、しばらく様子を見ている。人が来ようものなら、すぐに飛んでいってしまう。

逆に、メジロなどは大胆なものだ。2、3メートルくらいの距離なら、ニンゲンなどお構いなく、みかんを一所懸命つついている。

ジョウビタキのジョー君(?)も元気そうだ。今度はいきおい余って、僕の仕事場のガラス窓に激突して、気を失わないように。

「鳥の詩」は杉田かおるのヒット曲。おめでとう(^_-)

Albert Marquet

今日、宮崎県立美術館へ、「サントリー美術館コレクション展」を見に行った。

重要美術品や国宝など、見応えのあるものであった。

やはり興味を引くのは焼き物で、光悦、道入の茶碗、古伊賀の花入れ、古伊万里の皿など、すばらしい作品には目を奪われた。

しかし、最も僕の関心を引いたのは、アルベール・マルケである。

印象派の中でもフォーヴィスムと言われるグループになるらしい。

続きを読む Albert Marquet

徒然なるままに

↓